闘病日記、草壁奇言集|統合失調感情障害+線維筋痛症

30代未婚、障害者雇用。統合失調感情障害と線維筋痛症の残念な日常。

自己紹介~大学生活そして通院開始編

お久しぶりです。

この前まで激鬱でした。今はわりかしニュートラルです。

さて、前回は目も当てられない高校生活を書きました。

まだまだ続くよ!私の黒歴史

大学に入るとすぐに保健センターという学内の病院の存在を知りました。

ここで向精神薬貰えるかも!?と思った私は、早速保健センタ-の暖簾をくぐりました。

その時はパニック障害の症状を言って、軽めのレキソタンあたりを貰うつもりでしたが・・・心に問題があると見ぬかれて?学生相談室を紹介されました。ファック!

学生相談室には精神科の先生がいて、そこでカウンセリングを受けて、処方箋を書いてもらい、それを保健センターに持って行って薬を貰うというクソ面倒くさいシステムでしたw

でも、最初にコンスタンをレキソタンを貰えたので狂喜乱舞しましたがw

これらの薬を飲むだけでかなり楽になったのを覚えています。当時はねw

その頃からアムカは自然と減りました。

が、しかし!薬が貯まるにつれ、一度に1シート飲んだりとか所謂ODを繰り返すようになりました。

更に、多少眠りにくいのを誇張表現してロヒプノールを処方してもらったりとか・・・。

この頃は酒屋の小売のアルバイトをしていましたが、接客が苦手でストレスが溜まっていました。

接客・・・そりゃそうでしょう。AS一歩手前のコミュ障ですからw

今覚えはよく続けられたな、と。

バイトの憂さ晴らしに酒とODを繰り返すようになりました。

ソレ正直に言っちゃうと薬ストップされちゃうので、先生には内緒w

そんな感じでした。バイトで荒れるのは大学卒業するまで続きました。

とことん接客に向いていないね、私w

話は前後しますが、学生時代私は漫研に入っていました。

そうです、ヲタなのです。ってもにわか者のぬるオタですがw

1年の夏休み、漫研の仲間と遊びに行きました。確か私を含めて女子3人、男子2人だったかな。

その中にN先輩がいました。私は別にフツーの人と思っていました。特に何も思いませんでした。

そして1週間後ぐらいに漫研の合宿がありました。

その時はN先輩と結構話していて、夜、二人だけで海辺に行きました。

・・・勘のいい皆さんならこのフラグお分かりですよねw

告られました///

彼氏居ない歴=年齢の自分が告白されただと・・・!

この機会を逃せば一生彼氏なんて出来ないかもしれない。

でも、N先輩がどういう人だがよく知らないし、ちょっと話しただけだし。

散々迷った挙句、答は保留にしました。だって、よく知らない人にいきなり告られてもねぇ。

その後、何やかんや色々ありました。ココらへんは中略。

月日は経ち、確か10月頃、正式に付き合うことになりました。

ですが、恋愛経験0の私は付き合い方がよく分かりませんでした。

んで、1ヶ月でフられましたwwww俺超涙目wwwというかリアル号泣。゚(゚´Д`゚)゚。

それで何かが壊れたらしく、夜の公園でODパーティーwww

酒と一緒に安定剤40錠ぐらい飲んで、ちょっと寝て、フラフラになりながら公園を散歩しようとして階段から落下wwwアホの極みwww

膝を盛大に怪我しました。そのときの傷跡は今でも残っています。'`,、('∀`) '`,、。

その頃、某ソーシャルネットワークで知り合った同じ大学の男友達がいました。

まぁ、後々付き合うんですがw

その男友達に学生相談室ではなくカウンセリングもある心療内科への受診を勧められました。

そのことを学生相談室で話すと即紹介状を貰い、あれよあれよといいう間に精神科・心療内科への受診が決まりました。

一応、親の扶養なので保険証からバレると思い、親には睡眠の乱れを治すために通うと簡単に言いました。

そして、はじめての心療内科。流石病院。初診で結構薬貰えましたwww

不安症状や自傷のことを話し、暫く通うようになりました。

最初の診断は不安障害・抑鬱だったと思います。

それから暫くして、抗鬱剤を処方されました。アナフラニールだったっけな。

こいつが効果テキメン。一気に元気になりました。そう、躁転ってやつです。

双極性障害Ⅱ型こんにちわ。

この頃も遊ぶ金欲しさにバイトは続けていました。

しかし、不向きな接客でストレスは溜まる一方。

ついに壊れました。

バイト帰りに公園で大声で「資本主義のバカヤロー」と叫んだり、バイト先からパクってきた無記入のヤ*トの伝票を破いて撒き散らかしたり、大音量で音楽流したり、ペーパーナイフで木を切りつけたり・・・。

まさにマジキチ。よく通報されなかったなw

そんな状態であることを医師に告げたら統合失調症の病名が追加されました。(゜∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ

何か嫌なことがあるとODする癖は相変わらずでした。今思うと最低やな。

話は飛びますが、大学の鬼門は試験とレポート。

こいつらはスマドラで片付けていました。

バイトでそこそこ金があるので、ピラセタム、ヒデルギンその他有名ドコロを飲みまくって試験に臨んでいました。

レポートはナガヰとか。

そのお陰で?フル単で卒業しました。

しかし

試験前は薬で精神を無理矢理持ち上げる→試験後は反動で寝込む

という躁鬱の基盤は確実に形成されていきましたがな。

あ、就活のことも少し書きましょうかね。

上記のようにクソ学生生活を送っていた私はお祈りされまくりました。

SEとかプログラマー希望でしたが、自頭が致命的なレベルで悪い上にモロ文系なので全てお祈り。

完全に詰んだ私は、介護職の応募に手を染めました。

まぁ、福祉業界に興味あったし。

しかし、それは破滅への道でした。当時の私はお目目キラキラで知る由もありませんでしたが。

進路が決まり、大学の単位も取り切った私は4年の後半はバイトに明け暮れました。

コンビニバイト・・・王道ですね。

しかし、業務が上手くこなせず店長に嫌われて4ヶ月で辞めましたwwwww

その後、郵便局でバイト。葉書を仕分けるだけの簡単なお仕事です。

この手の単純作業は得意でしたので、怒られることはありませんでした。むしろ、褒められました///

バイトでプチお金持ちになった私は補聴器を買ったり色々楽しんでいました。

学生時代は躁鬱の波はあったものの、薬でコントロールできる範疇で、暗かった高校生活から心機一転、学生生活を謳歌してました。

そんな感じです。

BLACK KAIGO NOW編は後日。

多分、次回が最後の経歴紹介の記事になるかと。